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Mersey Beat Story Vol.4 EP Recording of Mersey Beat

更新日:2021年10月19日

マージービート、自主製作シングルレコーディングの巻


1987年2月に、マージービートは自主制作シングルのレコーディングを行いました。 レコーディングメンバーは、ギター・ボーカルが中戸靖仁、ベース・ボーカルが山本賢治 ドラムス・パーカッションが大西秀男、キーボード、ハモンドオルガンが金田アキコ、コーラスにシャーベッツ(森キョウコ、中西ノリコ、藤本ケイコ)その他雑用、運搬、ガヤ、クラップハンド要員として、鈴木と田村(後のマージービート2代目ベース)達がいました。

しっかり鈴木と田村写真に写っています。

レコーディングはいつもお世話になっていたSTUDIO YOUで行いました。 要した日数は、2日~3日(1日徹夜で録音し、もう1日でトラックダウンと言う説と、2日録音で1日トラックダウンという説があり、どちらが正解か今となっては覚えていません。)でした。

レコーディングには、いつもライブで一緒になっていたシャーベッツの面々に、戸高君からコーラスでの参加を依頼し、快諾いただきました。 収録曲は、Please Open your Eyes, A Rebellion to town, Keep on Harpin の3曲でした。

各局を選んだ理由とレコーディングのかは、大西君曰く以下のようになります。 収録曲の選曲理由についてはよく覚えていませんが、 1曲目既存の人気曲Rebellionの新アレンジで掴んで、他はカナちゃん加入後の新曲で新生マージービートをアピールしたかったんだと思います。

Please Open your Eyesはライブで毎回演っていたSomething New To Changeに飽きていた中戸君が、それに代わるエッジの効いたストレートな新曲が欲しくてつくった曲だったと思います。 冷戦下の米ソを皮肉った「USAでは今日もUSSRに向かい鳩の足の爪の数を数え直せなんていってるぜ」って歌詞にシビレました。

Keep on Harpin'はキーボードのカナちゃんのオルガンをフィーチャーした曲として、ちょっぴりサイケっぽいアレンジでつくりました。 この曲で聴けるキーボードのメロディラインの独特なコブシが所謂「カナちゃん節」として、その後の新曲にも活かされていきます。

KEEP on Harpin’のエピソード(鳴り物の件) シングルは33回転で長尺の録音が可能だったので、途中のブレイク部分は好きな長さで演らせて貰えました。 元々の演奏をあえてキックとスネアとハイハットだけのベーシックなリズムにしておいて、別録りでタムを重ねて厚みを出しています。 その時スタジオにあったボンゴを触った事もないのにノリで叩いたトラックも採用されています。 変則的なハンドクラップはマージー全員に鈴木君、加入前の田村君も参加していたと思います。ジャケット内側の写真で、僕がカウント数えて合図してるところが写っています。 その他レコーディングのエピソードとしては、徹夜でスタジオに籠ってたのですが、四六時中コンビニで買ったパンとかスナック菓子を食べていて、プロが良く云う「夜中のスタジオはとりあえず腹が減る」っていうレコーディングあるあるを実感しました。 シャーベッツのケイコちゃんキョーコちゃんノリちゃんと談笑するカナちゃんを眺めて「あっ、これってCIAAOとシャーベッツの初共演や!」って、どっちもファンだったので僕だけ勝手に盛り上がっていました。 (By大西君) ジャケット写真は、当時懇意にしていた大阪写真専門学校の中川先生の計らいで、中之島の朝日放送のスタジオで撮影していただきました。 採用された集合写真以外にも、様々なポーズでたくさん撮影したようです。 撮影の際は、先生が録音したばかりの曲を大音量で掛けて「さあリラックスして~」などと雰囲気づくりをして頂いたものの、全員初めての本格的なスタジオ撮影でガチガチに緊張しっぱなし。 出来上がった写真も全部同じ表情だったとのことでした。

裏面及び中開は、私鈴木と、永野さん(カーニバルプラザの企画部マネージャー)でした。 またこれは偶然なんですが、マージービート関係者には、カーニバルプラザ企画部の歴代バイト職員が5名(中戸君、山本君、田村君、鈴木、桑ちゃん)もいました。住んでいるところも吹田とか江坂ではないんですが、(中戸は八尾、田村は少路、鈴木は鴻池)何故か縁がありましたね。

これは裏ジャケ写の別テイク。(撮影鈴木)

デザインは、戸高君がデザイナーなので、彼のデザインによるものです。 Con-Trustというレーベル名も彼の命名です。「互いの信用」という意味だったそうです。 (AA & Aに注目!)

レコーディングに関して、山本くん、大西くんは以下のように述べておられます。

製作タイミングとしては、良かったが辞めるメンバー含めて製作したのはどうだったかなって今は思います。

結成前から、ずっと一緒にやってきたので、中戸がそのサウンドを残そうとしたのか、次のベースでつくるには間に合わなかったかのか?

私個人としては、形に残るものができてありがたかったです。(by山本君)

なんといっても当時は自分達の演奏がレコード、それもドーナツ盤になるってだけで単純に嬉しかった。これをまだマージービートを知らない沢山の人に聴いて欲しいと思いました。(By大西君)

さて、こうしてシングルレコードは出来上がりました。500枚程度をプレスして、関西の自主制作を扱うレコード店に委託で販売をお願いしました。当時は自主制作ブームでもあり、沢山のバンドがレコードを出していましたので、委託は簡単でした。 おそらく、500枚が最低発注ロット数だったためと思われます。 2021年現在に現存するマージービートのシングルレコードはこの分となります。 当時は・・・友人や関係者以外には思ったようには売れなかったですね。 レコード店に定期的に集金に伺っていましたが、思ったような結果は出ませんでした。 それが、時を経た今こんな高価な値段がついて、評価されているのを見ると不思議な気分になりますね。


 


その後さらに、東京のRADIATE RECORDからの依頼で、COMPILATION LP ”DANCE”への参加を打診され、収録する音源を2曲送ることとなります。

なぜかEPの音源を出さずに(なんでなのか?謎ですね?)Egg Plantでレコーディングライブを行います。


録音は、本町のStudio EVEに依頼して、16チャンネルくらいの巨大なミキシングテーブルを持参して、隣の楽屋にセットしてレコーデイングを行いました。 このStudioはお母さんと息子さんの2人で経営していて、もじゃもじゃ頭の息子さんの事を自分たちは、(富田)イサオちゃんと呼んでいました。たまにお母さんが、「ご飯出来たよ」と2階から声をかけるのが滑稽でよく覚えています。

そんな不思議なスタジオですが、トラックダウンの際には隣のスタジオでコブラがハリウッド映画用の曲のリハーサルをしていて、真剣に悩んだり、スタジオに皆でネそっべっていたことを覚えています。それなりにちゃんとしたスタジオだったんでしょうね。


レコーディングライブということで、Saturday’s kidsに集合をかけて皆で盛り上げて声を出して応援しようと言うことになり、それを拾うためにオーディエンスマイクまで立ててレコーディングライブを行いました。

しかしこの時イサオちゃんが、「このクソが、オーディエンスマイクなんて10年早いわ」と調整卓のツマミをいじりながらブツブツぼやいてるのを鈴木が聞いてしまい、後でメンバーに伝え、皆顔を見合わせてゾッとしたのを覚えています。


肝心のライブですが、オーディエンスは頑張ったのですが、歌詞の間違い、演奏のトチリなどがあり、候補の曲ではなくミスの少ない曲になりました。日頃は温厚な戸高くんが「又間違ってるがな!」と眉間にシワを寄せていたようです。



そして、このライブが、ベースの山本くんの最後のマージービートのステージとなります。

 

山本くんがこのためにバンドを辞めることは既定路線と言うか以前から決まっていたことでした。

とはいえ、次のベース選びには時間があったものの難航しました。プレイヤーマガジンにメンバー募集の広告を出したり、張り紙(こんなの)をアメ村界隈に張ったりしたのですが、なかなか決まりませんでした。


さて、マージービートのベースはどうなるのか?

先が知りたいところですが、この続きは次回に。

By:大西秀男 and 鈴木博之


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