Saturday's Kids ズッコケテレビ出演の巻
Hipな東京MOD STORYとは違い、いかにも関西、大阪らしいお話です。
「あんなあ、スブやん、今度SKでテレビでぇへんか?っていう話があるんやけど、乗る??」
とある日曜日、いつもの如くアメ村の中古レコード屋とか、古着屋を回ったあと、カンテかどっかで、茶飲んでタバコ吸いながらウダ話をしてるときに、戸高くんがぼそっと言いました。
「え?なにそれ、どういうこと?」と自分が聞き返すと、
「バックダンサーで是非SKに出てほしいって頼まれたんよ。どうやろ。」とまたぼそっと彼が返しました。
「テレビ番組でミューミュージシャンのバックで踊ってくれっていうんよ。うまくゆくと、SKをアピールできて、ええかもしれんなぁ。」などとまたボソボソと戸高くんが続けます。
自分は、「え、まじで?すごいやん。おまけにSKアピールできるんやろ?美味しいやん!」
と返しました。
戸高君は「じゃあ、話すすめるわぁ。」といつものようにニヤッと笑いました。
それが、あのSaturday's Kidsズッコケ?!テレビ出演の始まりでした。
結構自分は何も考えずにTVに出れるという事で、戸高くんの言葉をうのみにして、楽しみにしていました。ほんと、タダのミーハー素人ですね。
その後話が進むうちに、少しずつ詳細がわかってきました。
その番組はKBS京都のローカルの30分深夜番組「青春グラフィティ」という番組で、司会は、ぼんちおさむ師匠、脇に桂三十九(桂文枝師匠の弟子で後に廃業)、もう1一人は草井毛平(のちにマットーヤ毛平と改名、その後バイク事故で死去)という松竹の漫才、漫談師でした。あとは外国人と日本人のアシスタントのお姉ちゃんが1名づつ。という出演陣でした。撮影はスタジオではなく、自分が見た回は、どっかのホテルのラウンジでの撮影していました。
平日(金曜日?)深夜ということだったので、録画して番組を見てみると、内容は視聴者の懐かしいエピソードや写真を見せ、出演陣がコメントしたり、懐かしの番組を紹介したり、あとは出演陣の雑談で、最後に視聴者のリクエストを受けて草井毛平が歌うというような番組でした。
まあ、深夜のローカル番組という事もあり限られた予算で作成されていたんでしょうね。
番組も1クールで終わった記憶があります。 自分は、いったいどの場面でSaturday's Kidsが登場して、インタビューを受けたり、踊ったりするのか?がいくら番組を見てもわからなかったのですが、もしかしたら、BADGEとかMODS系のゲストミュージシャンが出演して、そのバックで踊るのかと思っていました。
そうこうするうちに、撮影の日取りが決まりました。平日の午後でした。その頃は某メーカー系ブラック自動車会社の社員でしたが、TV出演ということで、ずる休みして撮影場所に向かいました。確か阪急の梅田のどっかで待ち合わせして、Saturday's Kidsの有志10数名が収録に参加しました。 Saturday's Kidsを盛り上げようと、駆けつけてくれたメンバー達の気持ちにはジーンときましたね。 また、いつもはライブに来ないメンバー達も、テレビ撮影という事で気合を入れて一張羅で参加してくれたりもしました。Saturday's Kids愛とTV出演の魅力というところでしょうか。
指定された撮影場所は、京都の八坂神社の横、ラブホテルの地下のレストランライブバー、Woopiesでした。そのころは、ライブハウスではなかったのかもしれませんが、のちにマージービートや、チャオがライブでもお世話になるライブハウスでもあります。
会場に着くと、撮影までは時間があるという事で、上の階のレストランに食事に行きました。
メシ代はテレビ局持ちと聞いていたので、自分は生ビールとドリアともう一品くらい頼んだのですが、皆遠慮していたのか、テレビ出演で緊張していたのか、のどを通らず落ち着かない様子でした。平然と平らげる自分を見て、「お前食いすぎ!」とメンバーの一人に指摘されましたが、「ただ飯やし、食い放題やで」と自分は平気でした。実際食事代はタダでした。
階下に降りてゆくと毛平君が来ていました。毛平くんは、カーニバルの芝生ライブに出てくれたりと、なんやかんやでマージービート、中戸君たちとも縁がありました。 そこで実は今回のテレビ出演は、毛平くんが戸高氏に持ち掛けたことを知りました。 そうこうするうちに、ぼんち師匠、桂三十九氏が到着。ぼんち師匠がテレビで見る好感度たっぷりのキャラとはちがう、上下関係に厳しい方だとその場で初めて知りました。 毛平くんは、直立不動という感じで、敬語でキビキビ接していました。ちなみに、自分たちは師匠に「おい毛平、これこの間言うてたあれか?」と指をさされて言われた時には、「これ?ですか?」と思ったことを覚えています。まあ毛平くんの態度を見ると、仕方ないかもです。 桂三十九氏は、テレビでは明るくふるまっておられましたが、カメラが止まるとかなり怖い方でしたね。ほんと、皆さん演技がお上手でした。
なんとなく、悪い予感がして、もしかしたら自分たちは、毛平のコーナー「なんてったって、oldies」のコーナーで毛平の歌に合わせて踊るの??って戸高君にきいたら、「あぁ~。そうみたい。」って、素っ気なく返しました。
もしかしたら彼はこのことを知っていたのかもしれませんが、あえて言わなかったのかもしれないですね。(言ったらかっこ悪いって言って参加者が減るから)
皆、騙されたと内心思いつつも、ただ飯食った手前、踊らないと仕方ないという妙な責任感に支配され、逃げることもできず、ステージの前列に座り、番組の収録が始まりました。
番組は2本撮りで、音楽以外のコーナーを2本撮りました。結構グダグダで、これが一体番組になったらどんな風になるのか、と変なところで興味がわきましたが、やはりテレビで見ても、グダグダでした。その収録ののち、毛平のコーナーの収録が始まりました。
内容は・・・以下のビデオでご確認ください。まぁ、見ての通りです。(笑)
義務感といいながらも真剣に踊っているSKメンバーもいますので、ご確認のほど。
ビデオは2本撮りのうちの1本です。実はもう1本あるのですが、なぜか急に手持ちのDVDはディスクエラーを起こし読み込めなくなってしまい、日本のSKメンバーに送ってもらった1本を公開します。
収録が終わった後、毛平くんは、皆に握手して「有難う!」と言っていました。こっちは、毛平くんも大変やなぁ、芸の世界は厳しいなぁと、妙に同情的になったことを覚えています。
地下のWOOPIESを出たら、まだ外は明るい時間でしたが、気持ちはぐったり、疲労困憊でした。期待と異なり、ダサいバンドの前で踊りたくもない曲で踊らされたという気持ちからでしょうか。でもせっかく会社もずる休みしたこともあり、明るい太陽を浴びながら、阪急電車に乗って一路大阪へ。そのあとで梅田で飲んだのはまあ当然ですね。
テレビに出ることを会社に先輩の彼女に宣伝していたのですが、撮影されたのはずる休みした週の3週間後くらいで、ほとんど忘れた頃のオンエアーでした。彼女から先輩に電話で「今鈴木君出てるよ!」と教えてくれたそうですが、先輩は眠くって、何も見なかったと翌日会社で言っておられました。まぁ、見なくてよかったですね。(笑)
このことは、未だにSaturday’s Kidsの恥部というか、日本に帰って昔のメンバーと飲むと、この話題が出て笑い話になるんですが、でもだれもこのビデオは見たがりません。 あえて今回公開しますが・・・後が怖いなぁ。 By:鈴木博之
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