憮然とした顔の中戸君
Silent reactionのレコーディングですが、まずレコーディングに先駆け、いつもの練習場所の吹田のStudio YouにKITTYレコードの偉い方、スタッフの方とアレンジャーの方が来られました。
アレンジャーは、松浦晃久氏、その後JPOPの編曲、アレンジで有名になる方ですね。ミキシングは小西康司氏、プロデューサーは、田村功夫氏(元シグナルのベース)と、とにかく一流どころ勢揃いでした。
左から、松浦氏、小西氏、田村氏
フォーラスも初回ということで気合を入れたんでしょうけど、やっぱバブル絶頂期でしたね。
それらの方々が我々の練習スタジオに来られたのはレコーディングの一週間くらい前でした。いつも週2回夜10時~12時に練習していて、12時を超えても平気で音を出し続ける我々に(というか、中戸くんがほとんど)、スタッフの方はいつも「もう終わりですよ!」とキレ気味に怒っておられたのですが、この日は来られた方たちが、「延長、いいかな?2時間位」と言うと、あれだけいつも切れ気味だったスタッフが、「もちろんです!」と快諾したのには拍子抜けしました。おそらく内心喜んでいてくれたんですね。ツンデレですなー。
Studio YOUにはいつもお世話になっていました。ありがとうございました。
候補の4曲は、このスタジオ練習以前からトダカ氏、メンバーとも話し合っていました。 候補だったのは、確か”Please Open Your Eyes”, “夜空の向こう側に”、”ALL SEASONS”、”Keep On Harpin”の4曲でした。
自分は好みの曲で、Plans of lunaticsとか、Friday Nightもどう?って提案したのですが、1曲はキーボードが入らない曲でもあり、もう1曲はこのレコードには・・・どう? って言われ、却下となりました。ちなみに中戸くんは、最近の曲で固めたかったみたいでしたね。 スタジオでひと通り、候補の曲を演奏し、この4曲でと思うのですがと提案したところ、松浦氏が、「うーん、最近の2曲ではこれとこれ、もう1曲は静かな曲、あとの1曲は昔からやっている曲がいいんじゃない?昔のを入れるのはよく使う手なんだよネ。」ということで、その結果Keep On HarpinとPlease Open your eyesが候補から落ち、A Rebellion To Townとwhen I feel Blueが選ばれたのでした。ちなみに、When I feel Blueの原題は、「恋はミルクティ」でしたが、さすがにかっこ悪いと中戸くんは思ったようで変更となりました。 中戸くんが候補の4曲を決めたので、頑固を通すかな?と思ったのですが、うーん、としばらく考えて、「OKです」ということになり、その4曲でレコーディングをすることが決まりました。
レコーディングは9月下旬~10月上旬頃の某日、大阪、中津三和レコーディングのA3スタジオで行われました。 (今でも健在です。https://www.sanwa-group.com/service/recording/#) それはもう、立派なレコーディングスタジオでした。もちろんプロが使うスタジオでしたが、それはもう、めちゃくちゃ広くて、設備も整い、中津で新御堂が見えるビルのほぼ最上階に近い場所という、その界隈では有名なスタジオでした。 楽器もエンジニアも超一流のものばかりでした。
練習では吹田のStudio Youで、一番大きい部屋を借りていた自分たちでしたが、このスタジオには流石にビビりました。
さぁ、じゃあ音出してみようか?って段になっても、ダチョウ倶楽部のように「どうぞ、どうぞ」と譲り合っていました。まずはドンカマを聞きながら、ドラムのオオニシくんが、手探りするようにスネアを叩き、ドラムセットに座って叩き出し録音した後、次にベース、そしてキーボード、最後にギターとベースという感じでかぶせて録音してゆきました。
手探りの大西くん、田村くん、中戸くんとカナちゃん、皆硬いですねー。
なにしろ、24チャンネル、48トラックですから、音は入れ放題なわけで、急に思いついてアコギをかぶせるとかいろんな思いつきを提案してゆきましたでも、やんわりと断られることが多かったですね。向こうはバリバリのプロですから、我々みたいなジャリバンドの言うことなんか、本当はまともに聞いてられなかったと思うんですが、ほんと良く辛抱強くお付き合いいただけたと思います。 録音中なので、中で撮影することが出来ませんでした。
そレでもいくつかのアイデア、提案は通りました。 When I feel Blueのサビのところ、「ババ~ン」っていう効果音は、「遠くの雷鳴」みたいな感じの音で、フロアタムをユルユルにして、深いリバーブを掛けて貰った結果です。 これはオオニシくんの提案でした。 また、A Rebellion to townのサビのアコギの部分は、中戸くんが思いつき、キティレコード大阪のスタッフの方の私物のオベーションを2日めに持ってきていただき、お借りして録音しました。
松崎さんと練習する中戸君。 (録音で練習するか?ってノリツッコミしてました。)
レコーディングの最初で、松浦氏が、キーボードにで当時カナちゃんがハモンド以外で使っていたDX-7の音があまりお好きではなかったようで、「うーん、DX7も悪くないんだけどなぁ・・・D50使えないかな?、そうだローランドの大阪事務所につないで!」って言い出したかと思ったら、当時発売間もなかった「D50貸してよ?」って話して、すぐに話がまとまり、我々が車でローラーンドまで借りに行きました。
電話1本でまとめるなんてさすが~と感心しましたが、実はローランドと契約されていた方だったようで、だからローランド推しだったということは後で知りました。大人の世界は色々ありますね。
松浦氏が、アレンジのアイデアをどんどん出してゆきました。全部の曲のほぼあらゆる部分に手を入れてゆきます。もとのコードと歌詞は変わりませんが、曲の雰囲気はかなり違ったものになりました。特にキーボードに関しては、アレンジャー自身がキーボード奏者でもあるので、かなり手が入りました。
田村くんは、松浦氏からRebellionのベースラインを変更したほうが良いとアドバイスを受け、その場で変更となりました。
変更ということで、その場で弾き直す田村くん。
ドラムもです。大西くんはかなり抵抗していましたが、小西氏はいやーこの方がいいよってな感じで、畳み掛けてきます。それでも彼は色々抵抗して、「ビートルズの曲でリンゴ・スターがこのように演奏している。」とか説明し、抵抗を続けました。小西氏も「そう言われると説得力あるね。」と認めつつも、「まあ、これでやってみてよ」と結局彼らの思った曲のイメージに帰られてゆきました。
大西くんは「明らかにオーバーアレンジ。」と感じていたようです。
大西くん、真剣です。
中戸くんはと言うと、All Seasonsでいつも使うエフェクターのファズの音にかなりこだわりがあり、その点について「この音は北風だから入れたい。」とかなり食い下がっていましたが、松浦氏も折れず、「無いほうがスッキリするよ。」と言われ・・・結局中戸くんも変更を受け入れました。
中戸君はぼそっと後で、「自分たちは下手くそで、レコーディングのスタジオで練習するくらいやから、向こうは呆れてるよ。」と言っていたのを思い出します。彼もジレンマがあったのでしょう。
ギターを弾きながら悩む中戸くん
キーボードのカナちゃんは、さすがテクニシャンと言うか、松浦氏のアレンジを吸収して、その後は本番でも演奏できるようになっていました。
いつもクールなカナちゃん
待合ロビーでくつろぐ田村くん。ミキシング室の田村くん
あと、色々カットされましたね。 気づいたところでは、コーラスの部分はかなりカットされました。Rebellionの最後の「ヘイヘイヘイ~とか、When I Feel Blueの「シャンララ~」とか。大西くんと田村くん2人でコーラスしたのですが、無いほうがいいと言うことになり、結局When I Feel Blueの「暗い夜が迫る~」だけが残りました。 それでも、いくつか褒められてところもあって、中戸くんがギターの音決めの時、その音を聞いていた松浦氏と小西氏が顔を見合わせて、「彼いいカッティングするねー」って言われたときは思わず嬉しくなってニヤリとしました。 カッティングを褒められる中戸君
また、夜空の向こう側に、のカナちゃんのグランドピアノ演奏がすごい暴れまくりで、松浦氏も「おお~!!スゲェ彼女!!」(笑)って笑いながら言われてたときも嬉しくなりました。
暴れるカナちゃん、一見冷静に見えますね。
そういえば、レコーディング初日は終わった後に料亭に招かれ会食したそうです。 そうですというのは、実は自分はその日はまたバイトがどうしても外せず、夕方からシフトに入ったために行くことが出来ませんでした。すごい高級なところだったそうで、とても悔しい思いをしたことを覚えています。またレコーディングでは、方々の業界的は話し方を目の当たりにして驚きました。
テレビでよく聞いたりしていましたが、「〇〇チャン?シーメ行く?シースーにするかい?」なんてほんとに言ってましたから。(笑)あと、業界の人に共通するのかどうかはわかりませんが、レコーディング作業中はやたらダジャレが多く、「ありがとう」を、「ありがち~」とか、「さっきのフレーズもう1回、よろしく哀愁!」とか、「はい、よろしくメカドック!」なんて調子でしたね。
そういえば若いミキシングの方が、すごいテクニシャンで、録音の一部を消さねばいけないときに、テープを手で動かして、磁石のようなものを使って、0.5秒単位で消してみたり、トラックダウンの際マルチトラックで音量の上げ下げするツマミ=フェーダーを人の手でやると手の数が足りなくなるんですが、レコーディングでは当時最新式の自動制御オートフェーダーを使うことになったわけです。しかしながら最新式なのでなかなか使いこなすことが難しかったんですが、彼は解決策を提案したり、ボーカルか何かのメインと修正用のトラック2本のスイッチングを一瞬のタイミングでスイッチするんですが、その彼は秒単位でプログラムして解決するなど、K氏が、「うーん、どうしよう?」って感じになったときに、すかさず「これどうでしょう?」って解決法を差し出すので、皆は感激していて、K氏は「もう、東京行き決まったねー」って褒めていました。でも実際東京に行かれたかどうかはわかりませんが。
レコーディングは元々2日?の予定だったのですが、時間が押して結局2日半~3日かかりました。特に2日目は夜12時を超え、夜中2時位までかかりました。 これは、なかなかOKが出なかったり、お互いに試行錯誤した結果だと思いますが、そのためにフォーラスの責任者の方が責任を取らされ、左遷されたとかなんとか、そんな話も聞きました。そのためか、表彰式で壇上でコケて、ライオンの足が折れたり、500枚作ったレコードは450枚は買い取れとか、そんな事になったのかもしれませんね。
夜中のスタジオの窓からの風景と、寝落ちしそうな自分。
OKといえば、歌の一発OKはRebellion以外はなかなか出なかったですね。Rebellionは中戸くんも歌い慣れているだけにほぼ一発でしたが、他は何度もボーカルをかぶせていました。 レコーディングスタッフが、「はい!」って手を上げて、音が狂ったところを指摘し、そこを歌い直してかぶせるという作業を何度も繰り返しました。 また、歌入れの前には、東京録音の女史の方が、魔法の水?と呼ばれる水差しにミネラルウォーターを注いだものとグラスを持ってこられ、スタッフの方が「お!XXちゃんの魔法の水の登場だねー!」なんて言っていました。あとでこっそり飲んでみたら普通の水でしたけどね。(笑)
Silent Reactionって名前誰が決めたのか?トダカ氏?? スタジオ内では今は禁煙です!
ミューズでのライブ写真ですね。
ちなみに、ジャケットの写真は両面自分の撮影によるものです。
別コラムに書いたように、色々4人の写真も撮ったのですが、これで行こう!というのがなく、各々のスナップ4枚と、裏面のライブの写真となりました。
残念ながら該当ネガはフォーラスに渡した為残っておらず、おまけにクレジットに入るはずだったのに、出来上がったレコードには何故か自分の名前がありませんでした。(泣)
文句を言いたいところでしたが・・・このレコードが出来上がり、自分が手にしたときには、マージービートは活動したくても活動できない状態でした。
この続きは、またの機会に。
By:鈴木博之
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