「大阪モッズシーンにThe GRASS GROWがいた頃」
90年代半ばの大阪モッズシーンは、80年代とは比べ物にならない程、沢山のモッズや60s好きの若者がいた。
大阪を中心に神戸、京都、広島、名古屋などからモッズが集まり、毎週末どこかでイベントが開催され賑わっていた。
我々the GRASS GROWはというと、いつもイベントが始まる前から既にほろ酔い状態でゴキゲン。
しかし、N君はヴォーカリスト。徐々に出番前のアルコールが喉に悪影響を及ぼすようになってきた。元々の声質もあるが、酒の影響で思うように声が出せない時が増え、悪酔いして不機嫌になる事が多くなった。この頃から徐々に彼にとってバンド活動自体が少々重荷になっていたのかもしれない。
そんな中、決定的な事件が起きた。あるライブ中にN君は酔っ払い、共演した他のバンドにケチをつけ、挙げ句の果てステージを途中で降りた。さすがにその時は、僕は(恐らくメンバーも)彼に対する辛抱の限界が来て、一時期GRASS GROWの活動を休止した。N君の代わりにモッズ友達をボーカリストに入れてステージに出た事もあった。
そして、しばらく経ってからN君はそれまでの行動をメンバーに詫び、再びめでたくthe GRASS GROWは活動を再開した。
名古屋や神戸などのイベントにも出演させてもらう事が出来き、N君も過去の反省からステージが終わるまではアルコールを飲まなくなり、N君持ち前の飾らないストレートな表現で観客の人気者になった。
メンバーそれぞれのパートも結成当初よりも上達し、イベント全体の観客動員も増えバンドはピークに達した。
96年には、大阪モッズメーデーが難波ロケッツで7年ぶりに開催され、我々the GRASS GROWも出演した。
the GRASS GROW at ‘96 Osaka Mods Mayday
1, ”Lost Woman”
2, “I Want To Know”
3, “Most Likely You’ll Go Your Way”
再活動後は順調にいくつかのライブをこなしていたが、’96年大阪モッズメーデー直後の大阪 松屋町のバー サブタレニアンズに出演時にまたしてもN君がアルコールで不調。ハープを吹くマイクが酷くハウリングを起こす事に腹を立て癇癪を起こし、演奏中に歌うのをやめてしまった。その日のステージは最悪の出来栄えになり、彼は責任を感じたのか、ついにバンドを脱退する事になった。
N君は後にギター/ボーカルで大阪のR&Bバンド EASY ROLLIN’ (ex. RAW BLUES QUARTET)に加入した。
僕は元The GEARのベーシスト佃に誘われ、GSバンド 元ユーゾーズのY君とG君達の新バンド “メリケンブーツ”に参加し、大阪や京都で数回ライブを行った。
このように、それぞれ別の活動をしていたが、97年大阪モッズメーデーから出演オファーがあり、再びTHE GRASS GROWは、再結成という形で出演した。
the GRASS GROW
at ‘97 Osaka Mods Mayday
この一夜限りの再結成は、待ち構えていた大阪モッズ達とおおいに盛り上がり、バンドの雰囲気も絶好調で良いステージができた。自信を取り戻した僕は、やはりそのままthe GRASS GROWを続けたい気持ちだったが、他のメンバーの事情もあり、再活動には至らなかった。
つづく By Hiroki Yoshiyama
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